拡大解釈と過小評価
キラキラ一軍の光が生む大きな影 ✨
こんな経験、ありませんか? 🤔
キラキラ輝くように見える誰かと比べて、
「あの人はすごい」「自分なんかどうせ」
「あいつはずるい」「なぜ私ばかり」――
それはもしかしたら、拡大解釈と過小評価という心のクセかもしれません。
キラキラした“一軍”を見上げるほど、自分の影は長くなる。 🌗 それは拡大解釈と過小評価――心のレンズの話。今日は、その影と光を静かに見直します。
今日は、そんなテーマ。
正直に言うと、昔こう思ったことがあります。「YouTuberって、楽な仕事で稼げていいな」と。いま思えば、本当に失礼な話です。でも、そのときの私はそう感じてしまった。
動画で収入を得ている――その一部だけを切り取って、その裏にある努力やスキル、続ける力を見落としていました。YouTuberとして生きるための膨大な企画力や編集力、発信力を、まるで“簡単に稼げる人”として見ていたのです。
それは、彼らを「楽をしている人」と拡大しすぎて解釈していたのかもしれません。同時に、自分の努力を「大したことない」と値引きしすぎ、過小評価してもいたのです。
あの頃の私は、迷走していました。精神科での経験、トラウマやうつ病のためのメタ認知トレーニング、摂食障害の支援など、専門的に学びを重ねていたのに、もっとすごい人がたくさんいる。「どうせ自分なんか」が頑張っても誰にも届かないと自信を持てずにいた。
人の努力を小さく見積もり、自分の積み重ねも小さく扱う――それが、拡大解釈と過小評価の二重構造だと、いまならわかります。
恥や劣等感というものは、自分の心に影を落としやすい。その影の中で、自分を責めるための材料を探し、他人を輝かせすぎる。
けれど、その“恥ずかしさ”や“劣等感”があるということは、まだ誰かに届きたい、役に立ちたいと願っている証でもあります。人の努力を見誤るときも、自分を過小評価するときも、そこには“認められたい”という小さな光がある。
その光を責めなくていい。 それがあるから、人は成長するし、誰かに優しくなれる。
完璧じゃなくてもいい。焦らなくてもいい。他人をうらやんだり、自分を責めたりする自分も、ちゃんと人間らしい。
――誰かを見て落ち込む日も、今はそのままの自分で、大丈夫。光も影も、あなたの一部。そのどちらにも意味がある。
でも、もし今日、拡大解釈と過小評価という“歪み”に少しでも気づけたなら――世界の見え方は、ほんの少しずつ変わっていきます。
他人の光と同じくらい自分も光っていることを知れたり、輝いているあの人にも見えない影があるのかもしれないと気づけたりする。
そのどちらもまっすぐに見られるようになったとき、生きることはぐっと、やわらかくなります。 🕊️
最後に一緒に考えてみましょう 💬
- 問1
あなたは、すごく悩んでいるとします。その時「おはよう、元気がなさそうだね、何かあった?」と微笑みながら声をかけてきた人がいます。
あなたは、心の中で「私の悩みを知りもしないで、大した悩みもない人が、なにニコニコと言ってるんだ!」と思いました。
どんな風に考え直せば、少し楽になれそうですか? - 問2
あなたは、昨晩とても悲しい出来事がありました。大事な人と喧嘩をして、もしかしたらもう会えないかもしれない。一睡もできなかったけれど、仕事を休むわけにはいかず出勤しました。
そこで、同僚が暗い顔をして歩いていたので、心配になり、精一杯笑顔を作って「おはよう、元気がなさそうだね、何かあった?」と声をかけました。すると相手は睨みつけて「別に!」と言って去っていきました。あなたは心の中で「……私は嫌われているんだ」と思いました。
このように考える前に、他に楽になれそうな考え方はありますか?
考え方のくせを柔らかくして、生きやすくなる方法はたくさんあります。それは、練習によって少しずつ身につけることができるものです。
もし今、生きづらさを感じているなら、その中に――生きやすくなるヒントがきっとあります。🧭
「あの人は特別」「自分なんて」――比較が生む影。
心のクセを、日常の言葉でほどきながら、
気づけば少し、生きやすくなる。 そんな小さな視点を、これからも伝えていきます。
人生相談保健室コンパス ゴウ

