過食のあと、ふと我に返った瞬間のあの感覚。
胸の奥に重く沈む罪悪感、
「またやってしまった」という自己嫌悪、
誰にも理解されない閉ざされた孤独。
“やめたい”なんて何度も思ってきた。
頭ではわかってる。
そんなこと、誰より自分が知っている。
それでもやめられないのは、
意思の問題なんかじゃなくて――
ひとりでは抱えきれない痛みが、心の奥でずっと泣いているから。
今回のコラムでは、
私がご利用者さんと何度も一緒に試行錯誤して編み出した、
“罪悪感をノックアウトする過食のすすめ”も途中に載せています。
ひとりで戦うあなたの助けになれたら嬉しいです。
過食は“わたし”ではない。
この地点から始めなければならない。
過食は性格ではなく、弱さでもなく、
あなたそのものでもない。
あれは、
・感情
・孤独
・記憶
・体型への不安
・自己否定
・衝動性
そういったものが絡み合って
行動という形で噴き出した結果。
だから、
過食の中心にあなた自身を置かないこと。
これが「俯瞰する」というスキルの核になる。
「過食とわたしは別の存在」
この距離が取れた瞬間、
回復の扉は静かに開き始める。
過食の“地図”を描く。
それは、責めるための記録ではない。
過食の衝動には、必ず“前後”がある。
・仕事で傷ついた
・誰かの一言が刺さった
・体重計の数字に心が揺れた
・孤独が突然押し寄せた
・無力感が積み重なった
・疲れすぎて何も考えられなかった
過食は“突然”ではなく、
感情や環境の流れの中にそっと潜んでいたりする。
だから、
行動の前後にどんなことが起きたのかを
地図のように眺めてみる。
やめるためじゃない。
理由を突き止めて責めるためでもない。
ただ、「ああ、こんなにしんどかったんだ」と自分に気づいてあげるためのマップ。
他人に何を言われても、
本当は全部、もう知っている。
「食べなきゃいい」
「気にしすぎ」
「運動すれば」
そんな表面的な言葉は、
正直、もう聞き飽きた。
止められないのは、
弱さのせいでも、甘えでもなくて。
痛みが深すぎて、身体が耐えきれないだけ。
だからこそ、
過食と向き合う戦いを
“ひとり”で抱え込ませてはいけない。
過食という怪物は、ひとりでは立ち向かえない。
心の奥の深い孤独とつながっていることが多く、
自己嫌悪や衝動性が絡むと、
自分では客観視できない時期もある。
だからこそ、
誰かと一緒に考えることが本当に大切。
コンパスのカウンセラーでも、
家族でも、信頼できる友人でもいい。
「この怪物はひとりじゃ倒せない」
これは弱さではなく、
人として自然なこと。
俯瞰とは、冷たさではなく“寄り添う距離”。
俯瞰するとは、
自分を見放すことではない。
感情を否定することでもない。
それは、
ぐちゃぐちゃになった心のすぐ隣に
もう一人の自分を座らせて、
「いま何が起きている?」
と静かに問いかける距離。
この距離が、
過食という渦からあなたを守る。
――罪悪感をやわらげ、ゆっくり満たされる小さなヒント。
私が特におすすめするのは、
アイスボックス(グレープフルーツ味)です。
私の担当のご利用者さんと、
何度も話し合っていく中で 「罪悪感をノックアウトする必勝パターン」がいくつか編み出されました。
その方が言いました。
「ぜひ他の人にも教えてあげてください!」
冷たいし、硬いし、時間をかけてがりがり食べているうちに お腹はゆっくり満たされて、 気持ちが少しずつ冷静になっていきます。
しかも、美味しいのにカロリーはなんと15kcal。
ひんやりしたものに触れると、現実感も戻ってくるので ソワソワした不安が強いときにも本当におすすめです。
「過食の中心に自分を置かない」
これだけでいい。
完全に俯瞰できなくてもいい。
整理できなくてもいい。
何度失敗してもいい。
これは弱さじゃない。 心が何かを訴えているだけなんだ。
そう思えた瞬間、 あなたはすでに前に進んでいる。
過食は敵じゃない。
あなたを縛る存在に見えても、 その奥には必ず原因がある。
俯瞰とは、 怪物の正体を知り、 自分の居場所を取り戻す力。
あなたは悪くない。
あなたは間違ってない。
過食と距離が取れたとき、 あなたは“あなた自身”を取り戻し始める。
その道は、ひとりで歩まなくていい。
あなたが頼りにしてる人、もちろんコンパスのカウンセラーでも
あなたの 力になってくれる誰かと一緒に過食と距離をとる練習をしてみましょう。
人生相談保健室コンパス ゴウ

