今日は大晦日ですね。
この時期、街全体が「片付けなきゃ」「整えなきゃ」という独特の焦燥感に包まれます。ホームセンターには洗剤が並び、SNSには「今年のうちに捨てるべきものリスト」が流れてくる。
あの空気感に押されて、重い腰を上げ、冷たい水で雑巾を絞る。
けれど、もしその最中、あなたの心がちっとも「清々しく」ないのだとしたら。
それは部屋の汚れのせいではなく、頭の中に潜む**「べき思考」**という魔物のせいかもしれません。
1. 掃除が「自分を責める道具」になっていませんか?
本来、掃除は自分が心地よく過ごすための「手段」のはずです。
ところが、真面目で一生懸命な人ほど、いつの間にか目的がすり替わってしまいます。
換気扇のしつこい油汚れを見て、「ああ、私はなんてズボラなんだろう」と落ち込む。
クローゼットの奥の不用品を見て、「決断力がないから、私の人生は停滞しているんだ」と自分を責める。
これ、実は掃除をしているのではなく、「できていない場所」を証拠集めにして、自分にダメ出しをしている状態です。
「掃除が完璧にできていない」=「私は人間として、ちゃんとしていない」
そんなふうに、物理的な汚れを「自分の欠陥」に結びつけて考えてしまう。これが、あなたを苦しめる生きづらさの正体です。
2. 日常のあちこちに積もる「べき」という埃
この「大晦日は掃除をすべき」というプレッシャーは、大掃除の時期だけ現れるものではありません。あなたの日常に、まるで目に見えない埃のように、あちこちに積もっています。
* 朝は早く起きるべき(起きられない自分はダメだ)
* 返信は早く返すべき(後回しにする自分は不誠実だ)
* 常に生産的であるべき(休んでいる自分は価値がない)
どうでしょうか。心当たりはありませんか?
「べき」という言葉は、一見すると向上心のように見えますが、その実態は自分を縛り付ける鎖です。
この鎖に繋がれていると、私たちは「やりたいからやる」のではなく、「脱落しないために」「普通であるために」動くようになります。
そうしてエネルギーを使い果たし、心が大渋滞を起こしてしまうのです。
3. 「脳のひとり歩き」を実況中継してみる
「べき」が守れないとき、脳は猛スピードで「極端な絶望」へとジャンプします。
例えば、大掃除が計画通りに進まなかったとき。脳の中ではこんな実況中継が始まります。
「ああ、また今日も終わらなかった。私はいつもこうだ。結局、何をやっても中途半端。こんなふうに一年の締めくくりさえまともにできない人間が、来年うまくいくはずがない……」
……ストップ!
今、脳が勝手に「来年の失敗」まで決めつけましたね。
これが思考の「ひとり歩き」です。
事実は「掃除が予定通り進まなかった」だけ。
それ以上に絶望的なストーリーを書き上げているのは、事態の悪化ではなく、あなたの「考え方のくせ」なんです。
4. 最高の「清め」は、自分を許すこと
もし今、掃除の手を止めてこの文章を読んでいるのなら。
山積みの荷物を前に、立ち尽くしているのなら。
一度、深く深呼吸をして、心の中でこう呟いてみてください。
「……おっと、また『こうあるべき』って脳が自分を責め始めたな」
と。
メタ認知(自分の思考を客観視すること)のコツは、自分を無理に直そうとしないことです。
「責めてしまう自分」をさらに責めるのではなく、「ああ、またこの癖が出てるな」と、隣に座って眺めるような感覚でいい。
そして、こう自分に許可を出してあげてください。
「今年は、窓をピカピカにする代わりに、自分を許すことにした」
世間が求める「正解の家」よりも、あなたが少しでも楽に呼吸できる「しなやかな心」でいること。
それ以上に価値のある、一年の締めくくりなんてありません。
5. 境界線を引く勇気
未来は、まだ真っ白です。
部屋の隅に埃が残っていても、年が明ければ新しい太陽は等しく昇ります。
「べき」という鎧を脱いで、散らかった部屋の真ん中で、温かいお茶を飲んでください。
「あぁ、今年も一年、ボロボロになりながらも生き抜いたな」
その自己受容こそが、どんな強力な洗剤よりも、あなたの人生をスッキリとさせてくれます。
新しい一年。
あなたの人生のコンパスが、「こうあるべき」という北極星ではなく、あなたにとって「少しでも楽な方向」を優しく指し示してくれますように。
窓ガラスは、来年の暖かい日に磨けばいいんです。
今はただ、頑張ってきた自分に「お疲れ様」を届けてあげましょう。
次の一歩として:
もし今、「掃除しなきゃ」とソワソワしているなら、あえて「今日はここまで!」と声に出して宣言してみませんか?その境界線を自分で引けた瞬間、あなたの心の大掃除は、もう完了しています。
来年も皆様からのお電話をお待ちしてます。
よいお年をお迎えください。
人生相談室コンパス運営 ゴウ

