スマホナイト

スマホナイト ― スマホがナイト心が眠れない夜に

「眠れない夜にスマホを開くのは、意志が弱いからじゃない。
それは、心が安心を探している夜だから。」


夜、布団に入ってからが一番静かな時間。
天井の影がゆらいで、家の音が遠のく。
その静けさに包まれると、ふと、
誰かの声を聞きたくなってスマホに手が伸びる。

新しい通知があるわけでもないのに、
SNSを開いて、動画をひとつ、またひとつ。
笑い声や小さな感動に癒されているうちに、
気づけば時計の針が日付を越えている。

「もう寝なきゃ」と思っているのに、
「今日くらいはいいか」「あとひとつだけ」──
そう言い訳をしながら、画面の明かりを顔に浴びてしまう。

スマホの光が、どこか安心する。
静かな部屋にいるのに、誰かと同じ時間を過ごしている気がする。

きっと、誰もがそんな夜を知っている。
私はその夜を、“スマホナイト”と呼びたくなる。
心が眠れない夜の、ほんの小さな避難所。


「夜にスマホを触ってしまう」──
それは意志が弱いからでも、怠けているからでもない。
人の脳は、“もう少しで何かいいことがあるかも”という期待に反応して、
ドーパミンという快楽物質を放つ。

この仕組みは、誰にでも備わった「生きるための回路」だ。
あなたのせいじゃない。

けれどそれは、「依存している」よりも、
安心を探しているという表現のほうが近いのかもしれない。

夜は、昼間のにぎやかさが静まり、
自分の中の音がよく聞こえる時間。
「今日うまくいかなかったこと」「誰かの言葉」──
そんな思いが胸の底でざわつく。
その静けさのなかで、“つながり”という灯を求めて、スマホを開く。


スマホナイトは、悪いことばかりではない。
そこには、心が「まだ頑張りたい」と願う姿もある。
誰かの言葉に励まされ、
一人で泣く代わりに笑う夜もある。

けれど、その光を長く見つめ続けると、
まぶしすぎて、自分の顔が映らなくなる。

“画面の向こうに誰かがいる”という安心が、
“画面のこちらに自分がいる”という実感を、
いつの間にか薄めてしまうことがある。

「もうやめよう」と決めてもやめられない夜は、
自分を責めなくていい。
その瞬間こそ、心が「何かを埋めようとしている」サインだから。

だから、
「なんで今、私はスマホを触りたいんだろう?」
と、ただ問いかけてみる。

それだけでいい。
その小さな問いは、夜をやさしく抜けるためのランプになる。


スマホナイトに救われる夜があってもいい
続いてもいい。

でも、スマホが“ナイト”心が晴れない夜は、
それが心のSOSかもしれない。

そんな夜は、無理にやめようとしなくてもいいから、
一度だけスマホを置いて、
部屋の暗さをそのまま受け入れてみる。
その暗さの中に、
「今日もちゃんと生きている自分」が確かにいる。

スマホは悪者じゃない。
でも、あなたの心の代わりに寄り添うものではない。

眠れない夜、画面の光を見つめながら、
「この光の向こうにも、同じように眠れない人がいるんだ」
そう思えたら、それでいい。

その想像力こそが、
あなたの中にある“やさしさの種”だから。

そして朝が来たら、
少し重たいまぶたのまま、深呼吸をしてみよう。
「今日も生きた」──そう思える朝なら、それで十分だ。


人生相談保健室コンパス代表 ゴウ

※本コラムは心理教育を目的とした内容です。
診断や治療を行うものではありません。

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